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散歩道 城山石碑巡りー3 2月19日
2月18日にちょっと雪が降りました。10センチ足らずです。翌日は晴れ日 まだ城山の石碑を全部廻り切れていません。散歩がてら出かけました。今回は 本丸に向かって歩きます。
前回廻った下道は 遊歩道に人の靴跡がありますが 上に登る道は 無し。私が足跡をつけます。

まず 中佐平 ここには日露戦争で活躍した広瀬武雄中佐の銅像があります。


この広場にあるタカオモミジの巨樹は 秋の紅葉時は 誰もが写真撮りたくなります。今はここから市街地が見渡せます。

広場の手前の道に石碑が一つありました。白雲山桜之碑 天保7年設置 貝塚素牛の句
植えてなほ 花に命のをしきかな。。。飛騨郡代の田口五郎左衛門の元締めとして着任し高山城址が荒廃して居るのを見て嘆き 桜を植えここに観花場を開いたそうです。

中佐平の隣の広場には傷痍之碑がたっています。

遊歩道を上に登っていくと 号砲平につきます。この奥に石碑がありますが 字も判明しません。


本丸に向かって登ります。ここにも熊除けの 鐘と標識。


本丸直下に ちいさなケルン


本丸跡に到着 標高686m。雪のある時にここまで来る者好きは あまりいません。


市街地の反対側の樹間越しに乗鞍が見えます。


高山城は 金森氏が 山形に転封されてから 100年間放置され 荒廃したそうですが 城の図面が残っていて 模型が 再現されて博物館に飾られています。


再建の話もあったそうですが 財政難で 立ち消えたそうです。木造の御殿づくりで
優雅な 感じがします。
下りは 裏側から 巨木が茂った山道を下りていきます。誰の足跡もありません。

滑らないように慎重に降りていくと二の丸公園に到着 今日は子供たちの姿もありません。

遊園地のはずれに石碑が一つ。高山本線全通記念之碑 1935年昭和10年5月設置
高山本線は大正7年に岐阜~各務原から着手して16年を要して岐阜~高山~富山間が 開通した。最もいまだに単線です。

本日ここまで 照蓮寺の駐車場まで戻ります。


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前回廻った下道は 遊歩道に人の靴跡がありますが 上に登る道は 無し。私が足跡をつけます。

まず 中佐平 ここには日露戦争で活躍した広瀬武雄中佐の銅像があります。


この広場にあるタカオモミジの巨樹は 秋の紅葉時は 誰もが写真撮りたくなります。今はここから市街地が見渡せます。

広場の手前の道に石碑が一つありました。白雲山桜之碑 天保7年設置 貝塚素牛の句
植えてなほ 花に命のをしきかな。。。飛騨郡代の田口五郎左衛門の元締めとして着任し高山城址が荒廃して居るのを見て嘆き 桜を植えここに観花場を開いたそうです。

中佐平の隣の広場には傷痍之碑がたっています。

遊歩道を上に登っていくと 号砲平につきます。この奥に石碑がありますが 字も判明しません。


本丸に向かって登ります。ここにも熊除けの 鐘と標識。


本丸直下に ちいさなケルン


本丸跡に到着 標高686m。雪のある時にここまで来る者好きは あまりいません。


市街地の反対側の樹間越しに乗鞍が見えます。


高山城は 金森氏が 山形に転封されてから 100年間放置され 荒廃したそうですが 城の図面が残っていて 模型が 再現されて博物館に飾られています。


再建の話もあったそうですが 財政難で 立ち消えたそうです。木造の御殿づくりで
優雅な 感じがします。
下りは 裏側から 巨木が茂った山道を下りていきます。誰の足跡もありません。

滑らないように慎重に降りていくと二の丸公園に到着 今日は子供たちの姿もありません。

遊園地のはずれに石碑が一つ。高山本線全通記念之碑 1935年昭和10年5月設置
高山本線は大正7年に岐阜~各務原から着手して16年を要して岐阜~高山~富山間が 開通した。最もいまだに単線です。

本日ここまで 照蓮寺の駐車場まで戻ります。


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Posted by
ままねず
at
08:45
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1
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